とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

潮凛(しおりん)

美味しいお昼ご飯は、日々の活力の元。
今日のお昼はこちら。

焼肉とハンバーグのお店 グリル処 潮凛



www.google.co.jp


焼肉屋さんがやっているハンバーガー屋さんです。
地元じゃ有名らしい。
ほんと、美味しいんですよ、ここ。
場所は、ちょっとわかりにくいんですけどね。


ランチハンバーグは、AとBから選べます。

違いはソース。
前回はおろしポン酢でいただいたのですが、その時、やけに美味しそうだったデミグラスソース。
今回は、ちょっと奮発してチーズを追加のBコースでお願いしました。

まずは、スープがやってきます。

実はここ、ポタージュスープが美味しいの。
街のこじゃれたフレンチレストランのポタージュよりも、ちゃんと作ってあります。
季節によってかぼちゃのポタージュだったりします。
他に、中華風スープ、味噌汁も選択できます。

隣のテーブルに来たのは常連らしきお客さん三名。
みなさん、ポタージュスープを頼んでます。
やっぱり、美味しいんだ。

そしてやって来たハンバーグ。

ソースも缶詰開けただけ、とは一線を画したちゃんとしたソース。
チーズは伸び伸び伸びるドイツモッツァレラチーズ
ナチュラルチースの風味がよく合う。
お肉もしっかり肉肉しております。

ふと見ると、お隣のテーブルにきたのはハンバーガー。
その挟まったハンバーグの厚みがすごい(゜o゜)!!
一口じゃ、無理でしょ、絶対。
お客さんも、分けて食べてたし。
次回はぜひ、あちらに挑戦したいわ。

今日もごちそうさまでした。
また頑張ります。





ちなみにハンバーガーはこちら

認知症の取扱説明書

認知症についてお医者さんが書いた本です。
認知症の本はそれこそ、介護体験記から専門書まで数多くありますが、この本の良いなと思う点は、神経内科や脳外科の専門医ではなく眼科が専門のお医者さんが書いた、と言うところ。

認知症は要は脳の機能の経年劣化なので、脳神経を専門としているところが多く扱っていますし、実際、診断も脳外科や脳神経内科でします。
でも、そう言った専門機関だと得てして診断や治療に重点が置かれがち。
まあ、それが当たり前と言えば当たり前、何ですけど。
ただその分、日常生活で現実に起こっている困りごとに対しての理由やその対応方法についてはあまり具体的でない。

その点、この本の著者は眼科が専門で、高齢者の目の病気を診ているうちに必然的に認知症の症状に詳しくなった結果、本を執筆するに至った、と言う経歴の持ち主だけあって、認知症あるあるの具体例が出てきます。
対応策も、”割と”現実的。

ここで”割と”を入れてしまったのは、結局、認知症は長生きすれば遅かれ早かれ、程度の差はあれ誰にでも起こりえることなので、絶対に起きないように予防する、とか、良くなるように治療する、と言うことは不可能だからです。
嗅覚障害や、味覚障害を予防するために亜鉛をとりましょう、とか、いつもクンクン匂いを嗅ぐ癖をつけましょう、と言うのはやって悪くはない、でしょうけど、完璧に予防できるわけでもない。
そこは、まあ、著者が悪いのではなくて認知症の特徴がそうなのですから、期待しすぎるのはお門違い、というもの。

ですが、認知症患者さんがとる困った行動について具体的にどう言った機能低下が関係しているか、とてもわかりやすく書いてあるので、現実に認知症の介護をしている人には腑に落ちる点が多々あるのではないかしら、と思います。

さらに、今はしっかりしていてもいつかは認知症になるかもしれない親世代を抱える子世代にも、『こんなところに気をつけて、早めに対処しよう』というポイントがいくつも載っていて参考になりました。

本書では、大部分の章で認知症の患者さんでありがちな『困った行動』を挙げ、その原因と対策を述べられています。
最近話題の高齢者による交通事故についての章は、興味深かったです。

あとは、高齢者向け、とうたっているグッズに限って高齢者には使いにくいことや、スマホiPadのような新しいものも、使わせてみれば、高齢者でもしっかり使いこなせる、と言う話。

確かに、うちの母も難聴が進みすぎて大音量で携帯が鳴っているのに全然気づかず、これでは街中や電車の中で周囲に迷惑だから、と言うのがきっかけでiphone+fitbit(*)にしたのですが、最初の頃こそ色々手助けが必要でしたが、今ではいっぱしに使いこなしている、ようです。
しかも、最近の補聴器はスマホに連動して聴こえやすい設定にできるらしく、スマホ経由だと普通の電話より会話がしやすいことも判明。
(その代わり、補聴器を装着していないとかえって聴こえない)
便利な世の中になったものです。

また認知症の対応策も、周りがやってしまいがちな”良くない対応策”と”理想とすべき対応策”がそれぞれ書いてある。
この本のいいところは、場合によっては”それは理想だけど、現実には無理”な対策もあるよねと、はっきり言ってくれるところ。
結局は、”できる範囲でしか出来ない”と割り切りも必要。
そのあたりも、実際に認知症の患者さんと向き合ってきた著者の真摯な態度が伺えます。

後半は、認知症の家族を介護するにあたってのお金の問題にも触れられています。
これって実際、在宅医療の現場でもよく遭遇する話です。
お金が全てじゃないけど、お金で解決できることもあるし、そうしてその場しのぎでやり過ごせることで、続けられる介護もあります。

認知症になって起きてくる困ったことの多くは、排泄関係。
眼科の先生ならではの視点からのアドバイスが、なかなかに目から鱗でした。
実母も義母も、今の所独りで頑張ってくれていますが、この先はどうなるかわかりません。
今からできることはなるべくやっておこう、と思うのでした。

(*)iphone+fitbit
別にAndroid携帯でもいいのだと思うのですが、我が家はたまたま妹一家も含めiphoneユーザーが多かったので、iphoneにしました。fitbitは、第三世代のものです。
お風呂以外はずっと身につけているので、着信があると腕に振動が来て、すぐわかって便利だし、歩数計にもなるし、心拍数も測れるし、と結構喜んで使っています。
これで、心電図も測定できるようになったら、私も買おうかなぁ。


本書の前作、老人の取扱説明書。
認知症の〜』とかぶる点が多いですが、高齢者がなぜ高額の商品を買ってしまうか、などの心理的なことが書いてあったりして、認知症というよりお年寄り全般とのおつきあいの仕方というか心がけが書かれています。
実際に高齢者を介護している、などの切迫した事情のある人は両方読むとより理解が深まるかもしれません。
どちらか一方なら『認知症の〜』を読んで、他の著者の本にも目を通すと良いと思います。

yahooの記事で思うこと



先日のyahooのニュースサイトに掲載されていました。
headlines.yahoo.co.jp


介護付き有料老人ホームに入居中のお年寄りが亡くなって、十日あまり気づかれずにいた、と言うもの。
この一件の具体的な事情は一切知らないので、記事で読む限りでの感想になりますが、やるせないと言うか、しっくりこないものを感じました。

最近は、こうした施設に入ることを決める高齢者は少なくない、と思います。
うちの母も、『足腰が弱って思うように出歩けなくなったら子供の世話になるより施設に入る』と常々言っている。
確かに長女は鹿児島在住で、母にとっては友達もいないし、言葉も通じない異国も同然の土地。
次女は東京在住だけど、同居のできるほどのスペースはありませんし、そもそも母は母で長いこと一人暮らしで自分のペースで暮らすことに慣れているので、とてもじゃないけど同居できるとは思えない。
だから、状況によっては施設もありかな、と私たちも思ってはいる。
その場合の施設に入るメリットとは、ズバリ安否確認、だと思っています。
別に少しでも長生きできるように事細かくケアをしてほしいと言うわけではありません。
運動機能の衰えたお年寄りは、ちょっとした転倒でも簡単に骨折してしまうし、そこから寝たきり、痴呆、廃用症候群への道はあっという間、と言うのもよく知っています。
だから、転んだときは転んだ時。
ボケたときはボケた時。
嚥下機能が落ちて、誤嚥性肺炎で亡くなるもの寿命のうち。

だけど、亡くなって何日も誰にも気づかれない、と言う状況は避けたい。
そうなって、残された家族に辛い思いをさせたり、迷惑をかけたりしてくない。
誰しもそう思うから、わざわざ住み慣れた我が家を処分してでも施設に入るのではないでしょうか。
施設なら誰かしらいるから、一人でひっそりと亡くなっていてもせめて次の日くらいには見つけてもらえる、と思ってはいるのではないでしょうか。
少なくとも、私は老人ホームに入る目的の一つはそれだと思っていました。
介護付きなら、多少体に不自由が生じても自分一人で生きられる、それが期待できるところだからこそ、普通のアパートよりも格段に高い家賃と使用料を納め、今まで住んでいたところと比べれば、収納もないしスペースも限られた面白みもない部屋に暮らすことを選ぶのだと思います。

実際、訪問で訪れたことのある老人ホームやサービス付き高齢者住宅って、大概、収納はほとんどなくて服はハンガーラックにかけてむき出しのまま、ベッドと車椅子を置いたらもういっぱいの狭い部屋、トイレも個室についてなくて共同、と言うところも。
生活の場、と言うよりは、ちょっとアメニティのいい病室みたいな感じです。
先はどうかわからないけど、今の私は絶対入る気しないな。
もちろん、母にもあまり入ってほしいとは思わない。

それでもあえて入居するのは、近くに家族がいないとか、どうしても一緒に暮らせないとか、切実な事情があるから。
この事件のお年寄りも90代だったと言うことですから、自然の経過で亡くなられたのかもしれません。
亡くなった経過が問題なのではなくて、亡くなられてから十日近く、誰も気づかずに置かれていたことがやり切れません。
もしこの方が自宅にいたとしたら、90歳の独居老人なら民生員の訪問も受けられたでしょうし、介護保険を使ってヘルパーさんや訪問看護師の派遣を依頼することもできたはず。
そうした公的サービスを受けることで、独り暮らしでも亡くなってから何日も発見されない、などと言う事態は避けられたんじゃないか、と思うのです。

老人ホームをはじめとするいわゆる高齢者ビジネスには、時として、社会貢献よりも補助金や広告を目的としたものがあるのは確か。
建築会社が経営母体となっているところは、普通のアパートを建てるよりも入居者を集めやすいからとか、利用料が高めに設定できるとか、そんな理由で建ててたりする。
だから、入居者の本当の利益や、高齢者ケアを目的とした運営を考えてない。
そもそも、入居者がいつかは介護が必要になる人間だ、と言う認識を持っているのか?と疑問に思うことも。

別にね、そんな施設ばっかりだと言うわけではありませんよ。
本当にお年寄りを大事に思っているケアワーカーさんや施設長さんが運営しているところもたくさんあります。

だから、何が言いたかと言うと、施設ってやっぱり実際に行って運営状況をみないとダメなんだよね、と言うことでした。





五月の反省

五月の反省です。

食費    39,134円
日用品   199,52円
娯楽費   32,685円
予備費      0円
合計    91,771円(18,229円黒字)

連休があったので不安でしたが、娯楽費も食費も抑えられたので予備費も使わずに済みました。
一番の要因は、連休後半は相方のおじさんが義姉一家の旅行にくっついて出かけてしまい、私は私でお仕事でしたので、それで出費が抑えられた、というのが大きかったです。

日用品はまとめ買いがあったので、そこだけ突出してる。
まとめ買いは年に何回かあるのですが、別予算で計算するか検討中。
他の出費が割と抑えられているので、いっそ別計算で予算をまとめて立てても良いかもしれません。
もちろん、在庫管理もちゃんとしなくちゃね。
アルミホイルとか、ラップとか、使うときは結構使うけど、使わないと何日も使わない系のものの在庫管理が、なかなかに難しい。
洗剤みたいに絶対ほぼ毎日使うものは、逆算してわかりやすいのですけどね。

さて、最近ネットで話題のテレビ東京系ドラマ『きのう何食べた?』。

手頃価格のレシピが好評ですよね。
私にはちょっと甘めな味付けなんですけど、ちょくちょく参考にさせていただいています。
料理だけじゃなくて、話の内容もなかなか深くて良いものです。
さらにさらに私がすごいなぁ、と思うのは、毎月の食費を二万五千円に抑えている事。
お米代も含めて、ですよ。
我が家なんて、最近、相方のおじさんとも週末くらいしか一緒にいないから、平日の晩御飯は超手抜きで食べない日もあるくらいなのに、比べてみると。。。。

すこぶる反省いたしました。
そして来月から食費の予算をさらに下げることにいたしました。
昨年度は、ちゃんと予算をクリアできてましたしね。
漫画の主人公シロさんと違って、貯金に励みたいわけではなく、あくまでそう遠くない将来の収入激変時代への予行演習ですので、そこはまあ、あまり自分を追い詰めないように、ゆるくふわふわと、やっていこうと思います。



テレビドラマでも俳優さん達の演技がすごく自然体なところが良いですね。
特に内野聖陽さん演じるケンジがぴったりイメージ通りで素敵。
悲しいことに鹿児島でテレビ東京系番組は放送されてない。
仕方なくPCで観てます。
ほんとはおうちのテレビに録画したいのに。。。
でも、まだネットで観られるだけマシかぁ。

先生が決めてください


介護の過程で、患者さんが急変する。
そうでなくても状態が進んで、さらなる治療をどうすれば良いのか決めなくてはいけなくなる。
そういう事は家族である以上、避けては通れません。

例えば、胃瘻にする。
例えば、透析を始める。
例えば、入院させる。
例えば、詳しい検査を受けるために専門医に連れて行く。

本人がはっきり希望すればまだしも、認知が進んでいたり寝たきりでほとんど意思疎通が取れなくなっていたりした時、どうするか。

事前に話し合っておきましょう。

メディアを始め、色々なところでそんな風に言われます。
だけど、そう言われて『じゃあ、早速』と話し合ったなんて家族、ほとんど知らない。
だってちゃんと話し合っていた家族は、そもそも、決定の場で揉めませんもの。

困るのが、決められないご家族。
そして、言い放つ上記のセリフ。
『もう、どうして良いかわかりません。先生が決めてください』
ひと昔だったらね、父権的温情主義の権化みたいなお医者さんが、一言、きっぱり言って決めてくれてたんでしょうけどね。

民主主義ですよ、世の中は。
自己決定権を尊重するのです。
そうなるために、様々な世代の様々な立場の人たちが苦労して勝ち取ったのです。
その上言いたくないけど今や、訴訟社会。
後出しジャンケン、出したが勝ちの世の中。
でございます。

だいたい、自分の親なんですから、他人に決めてもらってどうするの?
なんて事は、口裂けても言いませんけど。

本人が何を望んでいるか、口に出しては言わなくても、普段の生活でしっかり関わっていたら、多少なりとも推測できないのかな、と思う。
例えば、『胃瘻は嫌』とはっきり言ってなくても、”口にご飯を入れると本当に嬉しそうにしていた”とか、”注射が嫌いで、病院に行くのが本当に嫌いだった”とか、そんな事でも良い、と思うのです。
その人の生きてきた姿を、今生きている人間の中で一番知ってるはず、思い出もあるはず。

『(本人が何を望んでいたか)私にはわからないので』
とおっしゃいますけど、そんなの本人じゃないんですから、誰にもわかるわけがないんです。
だから、人に押し付ける言い訳にしないでほしい。
思い出も共感もない赤の他人に、決定させて、そう言う人ほど、後から『そんな風には聞かされていない』と後出しジャンケンするもの。

だから、私たちにできる答えは申し訳ないけど。

『ご家族で決めてください』

しかないのです。


食べさせてあげてください


誤嚥性肺炎。
統計上はどうなのか知らないけど、お年寄りの死亡原因としてはダントツに多いと思う。

老化が進むと身体の色々な機能が落ちてきます。
もうそれはどうしようもない。
機能の落ち方は人それぞれ、身体それぞれ。
若いうちから白髪が多い人もいれば、年取っても白髪が全然ない人もいるように、老化の現れ方は本当にそれぞれ違う。

ご飯はぎりぎりまで普通に食べていた、と言う人もいれば、食欲はあるけど食べる能力の方が先に落ちてしまった、と言う人もいます。
困るのは、食べたがるけど食べられない人。

本人は食べる気満々で、『ご飯』と聞くと、うとうと寝てたのにすかさずお目目ぱっちりで口を開ける。
ほとんど寝たきりで認知も進み、家族の顔も見分けられないけど、『ご飯』の一言には反応がめっちゃ良い。
そんなお年寄り。
私も絶対そうなりそう、なお年寄り。

ただ、困ったことにそう言う方は必ずと言って良いほど、誤嚥します。
先日も、そんな誤嚥性肺炎の患者さんを臨時の往診で診察してきました。

もうね、月に一回は誤嚥してお熱が出てます。
その度に絶食にして、点滴して治療する。
痰を吸引する。
少し元気になると、ご飯は?????と。
食べるのが大好きなんですね。

施設の依頼で、ご家族に連絡するのも仕事の内。
大抵は電話での連絡になりますが、病状の説明とか治療方針などを伝えます。
ご家族によっては入院治療を希望されるところもありますが、そもそも施設に預けている時点で、入院先に面会に行ったりお見舞いに行ったりする余裕がない家族が多いので、そのまま施設での治療を希望されることも多いです。
医療関係のトラブルは後出しジャンケン的な面が大きいので、ついでに起こり得ることも伝えておかないとね。
後から『治療するって言ったんだから、治ってないとおかしいでしょ』と言われても困ります。

今回のご家族は、今までも何度も肺炎を繰り返していたせいか、あっさり、『お願いします。万が一の時はそのまま搬送せず、看取りでお願いします』と。
そして、問題の『本人が食べたがった時にどうするか?』と『今後の栄養摂取をどうするか?』。

胃瘻は、本人が希望しないのでしない、と言う方針でした。
最近はメディアで取り上げられたりするせいか、ちゃんと話し合っている患者さんやご家族も少なからずいらっしゃいます。

そして食べたがった時は?

施設だって、杓子定規に利益優先ではありません。
むしろ、人情味あふれる人が頑張っているところの方が多いのです。
介護士さんだって、介護という仕事にやりがいや意義を感じてやっている人もたくさんいる。
何より、鬼じゃないんですから、日頃から親しくお世話してきたお年寄りが、必死に『食べたい!』『死んでも良いから、食べさせて、、、』というのを、放っておくのは心が痛いのです。

だから、食べたがったら食べさせてあげたい。

だけど今の日本は本人の希望より、家族の意見。
そして、もし家族の意向を無視して食べさせて窒息させたり、肺炎がひどくなったりしたら、裁判になったりマスコミに責められたり、というのが悲しいかな現実です。

幸い、今回のご家族は
『良いです、その時は食べさせてあげてください。それで何かあっても、そこが寿命だと思ってますから』
『うちにいた時も食べるのが大好きで、大好きで。ご飯だけが楽しみな人でしたから』
と。

ちゃんとその人に関わってきたら、その人が何を望んでいるか、いざとなった時もわかるもの、なのだなと思ったのでした。





たそがれてゆく子さん

著者の伊藤比呂美は1955年生まれ。
ちょうど私より10歳年上。
育った環境も、暮らしている世界も微妙に違いますが、私は、女子校(行ったことないけど)のちょっとやんちゃな先輩、と言うイメージを勝手に抱いております。
この度、図書館でふと見かけて、本当に
『あら〜、せんぱ〜い。お久しぶりで〜す。元気でしたかぁ?』
と言う気持ちで、手に取りました。

思えば、伊藤センパイには人生の節目節目ではお世話になって参りました。
良いおっぱい悪いおっぱい”に始まる様々な育児エッセイは、何度も読み返したな。
その後、娘が難しい年頃に突入した折には、”伊藤ふきげん製作所”でなんだか救われた気がしたものです。
決して、明確な解決を教えてくれるわけでもない。
でも、渦中にある時の大変さ、日々のすっきりしない気持ちのもやもやを、一緒にもやもやしてくれる、そんな感じがしたものです。

私は一人っ子ではないし、摂食障害になったこともないけど、現在の日本で女性が働きながら、結婚して妊娠出産して、子育てして、と言う流れの中でぶつかってきた様々な事柄が、一つ一つ自分が置かれている状況に重なって、著作を読むたび、人生の先輩に
『そうそう、私もそうだったのよ〜』
と言われているような気がしたものです。

今回の”たそがれてゆく子さん”では、センパイはいつの間にか離婚して(”おなかほっぺおしり”では、優しくて子育てにも協力的な旦那様で、めちゃくちゃ仲よさそうだったのに!)なんとアメリカに移住。
アメリカ人男性と再婚して、三番目のお子さんまでもうけていた。
振り幅、激しすぎますよセンパイ。。。。


そしてその旦那様を看取り、ご両親をそれぞれ順番に看取り、さらにはお孫さんまでいて、すっかり老境の域に達しておられました。
すごい展開(゜o゜)!!

よく考えたら、私は先輩の著作を全部追っかけていたわけではなく、自分に都合のいいトピックスの時だけつまみ食い的に読んでは、勝手に人生のセンパイ扱いしていただけなのでした。

でも、本を読むのに正しい読み方、なんてないと思うの。
人生のその時、その時に、自分の置かれている状況に、必要としている言葉をふっと投げかけてくれる本を読む。
都合よくそう言う本を見つける。
そう言う読み方もあり、だと思うのです。

伊藤比呂美センパイは、そう言うわがままな読み方をしても、全然怒らない。
て言うか、自分のことしか話してない。
そこがいいんですよ。
一緒に自分のことも安心してだらだらと話して、終わってみたら、妙にすっきりしている。
この感じがなんとも言えず、”癖”になる作家さんです。

そしてかつて可愛らしい幼子だった娘さんたちは、いつの間にか激情の10代を生き延び、今や母語は英語となってアメリカ人として(?)生活している。
(母に注意されないと、日常会話も英語という娘たち。
詩人の母はどう思っているのだろう?)
渦中にいるときは、『この先どうなるのだろう』と不安でいっぱいなんだけど、そのときは足掻いていても、後になってみたらなんとかなっているものなんだな、とちょっと安心したりして。

久しぶりにあったセンパイ、お元気そうで安心しました。
また近況を教えてくださいね。

さすがはセンパイ、やっぱりこんな本も出されていました。
妊娠出産以上に、女性にとっては大きなイベントですものね。
ただし、先輩の場合はそれほど辛い症状はなかった模様。
いえ、それはそれで良いことなんですけどね。
もっとセンパイらしく微に入り細に入り、ねちっこくみっちりと書いて欲しかったな。
ちょっと物足りないというかなんというか。。。。